分子と輻射場の強結合状態による励起状態ダイナミクス変調


 原子や分子は常に輻射場との相互作用による影響を受けています.自由空間では,輻射場のモードが無数に存在するため,励起状態は自然放出により単調に減衰しますが,共振器中など特定の光の定在波のみが許される環境では,「分子と輻射場の間のコヒーレントなエネルギー授受にかかる時間の逆数」に比例したエネルギー分裂(真空ラビ分裂)が起きます.この分裂幅が自由空間での分子の吸収線幅よりも大きい状態を,輻射場と分子の強結合状態と呼びます.

 輻射場と分子の結合状態(ポラリトン)の‘断熱’ポテンシャル曲面は,「定在波の光子エネルギー分シフトした基底状態のポテンシャル」と,「電子励起状態のポテンシャル」の量子力学的混合と考えられ,自由空間での分子のポテンシャル曲面から大きく変化する可能性があります.これにより励起状態での非断熱過程の速度が変化します.

 我々は,真空蒸着により作製した微小共振器内で,有機薄膜の電子励起状態ダイナミクスがポラリトン形成により受ける変化を調べました.過渡吸収測定の結果から,ルブレン分子の非晶質膜においては,一重項励起子分裂の速度が共振器長に依存して変化する挙動が観測されました[1].これまでにも,類似の共振器構造による励起状態ダイナミクス変調の報告はありましたが,その微視的機構について十分な理解は得られていませんでした.特にポラリトン形成によりポテンシャル曲面がどのように変調されるかという点を実験的に明らかにした研究は皆無でした.我々は,Holstein-Tavis-Cummings モデルを用いた吸収スペクトルの解析からポラリトンの振電構造を明らかにし,電子励起状態における振電結合の消失が一重項励起子分裂速度の変調に大きく寄与していると結論しました[1].

 さらに,有機薄膜太陽電池のドナー材料として知られるテトラフェニルジベンゾペリフランテン非晶質膜を共振器中に配置した試料に対し,電子励起状態のエネルギー揺動についての知見が得られる二次元電子分光法を用いて,強結合状態の形成下では,励起子のエネルギー揺動をもたらす熱浴との振電結合が著しく低減されることを明らかにしました[2].

参考文献



1. "Singlet fission of amorphous rubrene modulated by polariton formation", Shota Takahashi, Kazuya Watanabe and Yoshiyasu matsumoto, J. Chem. Phys. 151, 074703 (2019).

2. "Decoupling from a Thermal Bath via Molecular Polariton Formation", Shota Takahashi and Kazuya Watanabe, JOURNAL OF PHYSICAL CHEMISTRY LETTERS, 2020, 11, 1349-1356: DOI: 10.1021/acs.jpclett.9b03789

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